1994-01-17 第128回国会 参議院 政治改革に関する特別委員会公聴会 第1号
国会議員さん、国会に対しては、最高の道義感、倫理観と健全なる常識の国民に通ずるものが求められているわけで、それを堅持して実践なさっていただきたいわけですが、冒頭に申し上げましたようにその乖離は大きいですよ。大きいですよね。それで申し上げているわけでございまして、よろしく御理解いただきたいと存じます。 以上です。
国会議員さん、国会に対しては、最高の道義感、倫理観と健全なる常識の国民に通ずるものが求められているわけで、それを堅持して実践なさっていただきたいわけですが、冒頭に申し上げましたようにその乖離は大きいですよ。大きいですよね。それで申し上げているわけでございまして、よろしく御理解いただきたいと存じます。 以上です。
同時に、さらに基本的には、国民が議会制民主主義というものに対して信頼を持っておるかどうかという政治に対する道義感、これが乱れておるときには、乱れておるといいますか、乱れておるときにはやはり国民の関心が薄くなる。
またもう一点、時間の関係でついでにお伺いしておきたいと思いますが、主権在民の議会制民主政治のもとで国民の信託を受けて国政の任に当たる政治家は、一般国民に倍する道義感と責任の重さが要求されるのは当然であると思います。にもかかわらず、現在の自民党多数の国会においては、ただいま議題となっております本案は、先ほどもお話があったかと思いますが、否決される可能性もあります。
議会制民主政治の根本にさかのぼってみますと、やはりそういう倫理感を持った、政治的道義感を持った議員によって議会は構成されて初めて健全な運営も行われるのだ、こういう立場である以上、昔から李下に冠を正さずということすらあるくらいであります。
しかしながら、主権在民の議会制民主政治のもとで、国民の信託を受けて国政の任に当たる政治家は、一般国民に倍する道義感と責任の重さが要求されるのであります。とするならば、一審とはいえ有罪判決を受けてなおかつ信として恥ずることなく、テレビインタビューなどに対しては「泥棒にも三分の理あり」などと答えて、いささかも反省の態度を示さないことは、断じて看過することができないのであります。
道義やあるいは道義感のないそういう大学が技術や知識を詰め込んで、鋳型にはめ込んで社会に学生を出している、そういう姿の中で、果たしてこれからの新しい時代の大学として国民の批判にたえられるだろうかということを私は心配をするわけでございます。
もし、この第二十六条が撤廃されると、医療の中に利潤追求という医の倫理とは相反することは否めないし、その結果、医の倫理は低迷し、医師の持っている道義感、義務感は次第にその影をうすめ、もはや、地域医療への積極的な参加など到底望み得べくもないであろう。」 最後に「勿論、われわれも租特法第二十六条のみにこだわるものではない。
達成できないところからは納付金を出さすとかということだけでは、なかなか達成できないのでありまして、社会的な道義感というものをもっと推進の要素として考えてみる必要があると思うのですね。そのためには、現在やっておられるよりは、公表するというあの制度をもっとシビアに活用する必要があるのじゃないかと私は思うのですね、予定に達しないところに対しては。この問題についてはいかがですか。
政治と司法との関係、司法と密接な関係にある犯罪捜査活動と政治との関係、国会と司法行政との関係、さらには政治と道徳、政治家の道義感、人生観、政治腐敗の原点の反省を要する時点である。
そこで、文部大臣、いまの日本の子供たちの世界においてもとかく軽視されているのは、教育課程の中にどこかに道徳的な要素、往年の、戦前の、国が徳目を決めて押しつけるという道徳の強要でなくして、おのずから自然に社会で生まれて育ってきている高い道義感、これは私教育課程の中へ織り込むべきではないかと思うのです。ある意味の宗教心も適切だと思うのです。特定の宗教という意味でなくして、祖先を大事にする。
それは、心神喪失等を除外していた旧刑事補償法の戦前の習慣や観念が残存していたためなのか、あるいは、より根本的に、いやしくも事実として殺人を犯しておきながら、刑事補償を要求するなどとは、という、法律以前の道義感が、この種の補償請求をする考えを起こさせなかったのか、いずれかであろう。」という意見を述べておられます。
あなたがこう主張してきたのは、田中金脈問題が自民党の金権体質にその素地があり、これを国会の場で明らかにすることによって、自民党と金、政治家と金の不明朗な関係を正し、公党公人の倫理を正し、政治に対する国民の不信を一掃し、社会の道義感の退廃を防ごうとしたからではなかったのでしょうか。
あるいは国会議員の道義感の欠除といってもいいかもしれません。それをおそらく全世界の人々からは笑われるだろうと思うんです。だから、どうしてもこれは、われわれとしては明らかにしなければいけない。そういうことでわれわれはこの問題を提起しているわけです。
一そう小さい子供、大きな子供、一緒に遊びながらそこでおのずからいろいろな道義感が自覚されていくというようなことも少なくなってきている。これが現実でございますだけに、やはり学校においてそういう点についての配慮がさらになされなきゃならない。ようやく三十三年から道徳という時間が週一時間行なわれるようになったわけでございますけれども、この授業に反対の先生方もかなりいらっしゃるわけでございます。
こうした事実を見たときに、私どもは、商社のどこに正義感があるのか、商社のどこに道義感があるのか、商社のどこに社会的責任があるのか、深い疑惑と憤りを感ぜざるを得ないのであります。 しかも本日、私はここに朝日新聞を持ってきているのでありますが、丸紅飯田は米の買占め数千トンで検察庁の告発を受けた、このようにいっております。
そういうようなことを通じて、一般の国民の信頼ももちろん失われるわけでありますが、むしろ対部内的に非常に懸念をされますのは、そういう権力的な一家主義的な、むしろ警察自体が本来は規律、秩序を守らなければならないのを規律、秩序を無視してまで警察官が一家主義的ないわば専断をするというような、こういう点から部内的にひとつの道義感とか、あるいはその規律に対するところの尊重の気持ちとかというようなものがだんだん希薄
必要があるときは——必要があるときというか、これはもうそういうものについては報道機関の方にも、実はこういうことがあって、こういう処分をしたということは、もういさぎよくそういうことについては御批判を願うというふうな態度で私ども指導してきたつもりですけれども、そういうふうなこともなく、まあ内にこもって、それが先ほど御指摘のように部内的の道義感、規律感というものに悪影響を及ぼすということがあってはなりませんので
君は、いささかもこの信念を曲げることなく、自粛自戒、常にみずからの政治姿勢を正し、国民の代表者たるにふさわしい道義感をもって行動するとともに、明るく清い政治の確立のために全力を打ち込まれたのであります。(拍手)その嵩高な民主政治に対する君の至誠と情熱は、われわれ議員のことごとくが範とするところであります。
○政府委員(宮地茂君) この人事関係のいわゆる汚職、不正事件でございますが、この問題につきましてはいろいろ原因はあろうかと思いますが、一番大きな、また終局の理由といたしましては、やはり教職員関係者の道義感に反するモラルの問題が第一番の問題であろうと思います。
どんなことをしても、そこにおる人間がみんな共謀して道義感がなければとめようがないのですよ、人間がやるのですからね。それをもう目こぼししてしまえばいいのだ。第一の関門、第二の関門、目こぼししてしまえばいいのだから、ちょっと〇・何秒か手数がかかるだけで同じ結果なんです。どだい税金にひとしいようなこの金を委託会社にやらせるという、大体そのものが私は間違っていると思うのですね。
とともに、先ほども申し上げましたような、零細な、善良な、国土建設の下積みになっておるこれらの層に対しましては、私はいま申し上げました方針で進みますとともに、不良なるところの業者といいますか、全く道義感と倫理感を失ったような姿での、単に技術登録の設計士が一人おればこれが許可の対象になるということ、そして、まことに不正な、まことに非道徳的なるところの仕事の推進といいますか、そういうようなことからくる業者
総理は施政方針演説の中で、「政治に携わる者は、国民の代表者たるにふさわしい道義感のもとに行動し、清潔な議会民主政治を確立して国民の政治に対する信頼を高め、その負託にこたえなければなりません。」と述べておられますが、清潔な議会民主政治の確立を妨げている元凶は、実に政治資金に対する政府自民党の意図のずさんさにあります。